平成27年度 卒業式式辞・校長式辞より            

(前文略)

本日卒業していく皆さん、皆さんにとってこの瀬戸南高校はどうだったでしょうか。 皆さんは、三年前、希望に胸を膨らませて本校に入学し、以来、「創造・自律・友愛」の校訓のもと、学業をはじめ、生徒会活動や農業クラブ・家庭クラブ活動、そして部活動に情熱を傾けてきました。とりわけ、農業、食料、環境創造、保育、福祉といった人の生活の根源を支える分野に学び、命と向き合い、命を育てる学習や、多年齢の人たちとの交流学習の中で、人としての在り方や、社会人としてのマナーやルールをしっかりと身につけました。 また皆さんは、本校でかけがえのない友や師と出会い、多くの経験を得ました。皆と心を一つにして全力を出し切った学校行事での充実感。友とぶつかって心を痛めたこともあったでしょう。また友との突然の別れという悲しい出来事もありました。今を大切に生きることを友に誓いましたね。自分の進路について真剣に悩み、努力を重ねた日々も、間違いなく皆さんの力になっています。本校での出会いと経験は、皆さんの一生の宝物。今後の皆さんを支える大きな財産です。卒業後は、これらの成果を胸に、歴史と伝統ある瀬戸南高校の卒業生として、自信と誇りを持ち、心豊かで創造性に富んだ、信頼される人材として社会で活躍してくれることを期待しています。

さて、これから社会に出て行く皆さんに、次の言葉をはなむけとして送ります。 それは『置かれた場所で咲きなさい』という言葉です。ノートルダム清心女子大学の渡辺和子先生は、同タイトルの著書の中で、こう書かれています。「人はどんな境遇でも輝ける。咲くということ。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々をも幸せにすること。境遇を選ぶことはできなくても、生き方を選ぶことはできる」と。渡辺先生は、わずか三十代半ばという若さで思いがけず岡山に来られ、大学の学長に就任されました。あまりにも若く、学長という職はとても担いきれない重責だったそうです。彼女は重圧に押しつぶされそうになり、「学生が挨拶もしてくれない、教職員も自分に協力してくれない、誰もわかってくれない・・・」。彼女は御自身でこの時の自分を「くれない族」と称しておられますが、いつも心の中は、言い訳と愚痴ばかり。ついには心の病気に冒されたそうです。そんな時、一人の宣教師がくれたのが『置かれた場所で咲きなさい』という、一遍の詩だったそうです。

『 Bloom where God has planted you. 』

彼女はその言葉で目が覚め、「そうだ。置かれた環境に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、自分は環境の奴隷でしかない。人間として生まれたからには、どんな所に置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせよう、と決心することができた」、そうおっしゃっています。 これから皆さんが生き抜いていく社会は、変化の激しい社会です。皆さんを待っている環境は、もしかしたら、期待しているような環境ではないかもしれません、いろいろあるかも知れませんが、自分が置かれた場所が、あなたの居場所となるのです。そこで咲いて欲しいのです。咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、精一杯やってみることです。皆さんは、本校で学び、人に喜んでもらうことの素晴らしさを知っています。人の役に立つことの喜びを知っています。人を笑顔にするために自分にできる術(すべ)を身につけているのです。それは必ずしも楽しいことばかりではないかもしれません。辛く悲しく、壁にぶつかることもたくさんあることでしょう。そんな時も、希望を失わず、一歩一歩、前を向いて歩いて欲しいのです。そうすれば、必ずあなたの周りで応援してくれる人、あなたを支えてくれる人に巡り会うことができ、道が拓けるはずです。皆さんに、その時、その時に、置かれた場所で咲いて欲しいと願っています。 渡辺先生はこうも書いておられます。「辛いときには無理に咲かなくてもいい。次に咲く花が、より大きく、美しくなるために、下へ下へと根を張れば良いのです」と。

いよいよ旅立ちの時が来ました。 皆さんは、私たちの誇りです。そして、皆さん一人一人が、私たちの希望です。 卒業していく皆さんが、心身共に健康で、その人生が希望に満ち、逞しく、幸運に恵まれ、何より悔いの無い人生を送られることを心からお祈りし、式辞とします。

                           平成28年3月1日(火)

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